木材を加工する際に舞う木屑のクローズアップ

清水建設と結ばれた絆

一つの建物を作り上げる営みには、幾つもの職種の職人たちによる緻密な連携が欠かせません。
清水建設は明治時代、この協力の形を単なる仕事の関係として割り切るのではなく棟梁と弟子という深い絆で結ばれた家族のような存在として大切にしてきました。

大工をはじめとする職人たちへの厳しい指導の中にも、確かな信頼と温かな心遣いが息づいていたのです。

その精神は兼喜会という形となって受け継がれ、かけがえのない協力関係として、今なお日本の建設現場に根付く清水建設と兼喜会、信頼の絆の原点はここにあるのです。

ヘルメットを被り、腰に手を当てて立つ作業員の背中姿
「キ」のような文字と曲尺

今をさかのぼること130年ほど前、社会情勢の変化からいち早く一式請負を目指した当時の清水方は直属の優秀な諸職方を育てる必要を感じ、明治22年(1889)に店員と職方で組織していた
(カネキ)工商会 」を母体として、明治24年(1891)頃「匠友会」(大工のみ)と「清水方諸方組合」(大工を除く)の二つの団体をつくりました。

昭和4年(1929)、匠友会と清水組本店諸方組合(清水方諸方組合が改名)は合併し、
「清水組本店職方組合」( (カネキ)会 とも呼んだ)を設立。当初は非公式の団体でしたが、
昭和9年(1934)には協力会としてその活動が清水組に認められるようになり、
正式に「兼喜会」という名称を名乗るようになりました。

兼喜会エンブレム